Snow Manのシンメが笑っちゃうくらいシンメトリー
※注意※
今回、パフォーマンスについて自分が思うことをつらつら書いていますが、私はダンスの経験も知識も皆無ですし、運動も体育の授業以外でしたことがないレベルなので体の使い方とかも全くわかりません。芸術鑑賞も技術を云々することなく感覚で楽しむだけの人間です。そんなド門外漢の私個人が勝手に持った印象を書いただけなので、見当違いだったり意味不明だったりはすると思いますが、これは個人的思考を記録しておくことを目的としたブログなので、お嫌でしたら読まないでください。
Snow Man結成10周年おめでとうございます。
10年前、6人がSnow Manとなったこと、それがただの寄せ集めではなく、いわふか・あべさく・ゆり組のシンメ3組であったこと、本当に運命だったと思います。
2012年当時の私はSnow Manの存在すら知らなかったし、2016年に存在を知ってファンになって以降も現場に行ったことはないし、「ずっと見続けてきました!」とは言えないと思う。
でも逆に、在宅オタクであるからこそ、同じ映像を繰り返し見た回数はなかなかだと思う。
いや、デビュー後は供給が多すぎて全然なんだけど、デビュー前は本当に現場以外の供給が少なかったので、在宅オタクが彼らのパフォーマンスを楽しみたいと思ったら、同じ円盤・同じ動画を繰り返し見るしかなかったわけで。
そうして繰り返し見ているうちに、しみじみと思ったことがある。
「Snow Manのシンメ3組って、ただの立ち位置じゃない。仲良しコンビ3組でもない。本当に、パフォーマンスが真のシンメトリーだ。」
本当にすごい。
3組とも見事にシンメトリー。
目標は同じなのに、それを達成する方法が真逆。
そんな二人×3でひとつのグループって、すごすぎない?
奇跡じゃない?
というわけで、今回は勝手に結成10周年を祝して、オリジナルメンバー6人=シンメ3組について語りたいと思います。
1.あべさくのパフォーマンス=利益追求型(テーマパーク型)
あべさく二人はよく「あざとい」と言われる。
「あざとい」という言葉は本来、小利口・小狡い・あくどい・抜け目がない・タチが悪い、というような意味だけれど、昨今は意味が変遷している。
「あざとい警察です逮捕ー!」の意味するところは、「己がどう見えるかを理解・把握した上で、戦略的に計算して可愛く見せている」ということだ。
まさに、この二人のパフォーマンスは徹底して戦略的だ。
阿部くんも佐久間くんも、「アイドルの使命はファンを喜ばせることだ」という信念がものすごく強い。
彼らの最優先目標は常に「ファンを喜ばせること」であり、パフォーマンスはその手段だと認識している。
何をしたらファンが喜ぶかを恐ろしいまでに把握していて、己の容姿や技術を最大限に活用して、目標を達成している。
アイドルという仕事を完璧に遂行している二人だ。
「この曲はこういうストーリーだから、こういうメッセージを伝えるパフォーマンスにしよう」というのはアーティスト誰しもに通ずる思考だろうが、阿部くんと佐久間くんはそこにもうひとつ、「そのためにこういう表現をしたら喜ばれるはずだ」という思考が乗っかっていると思う。
ただ、この(ファンの)利益追求型として完璧に同じ方向を向いている二人は、その目標を実現する手段=パフォーマンスのつくり方が正反対だ。
阿部くんはインプットもアウトプットもとても論理的。
歌詞を客観的にしっかり読解して、「ここはこういうことを言っているからこういう動きで・表情で……」と考えてひとつひとつ試行錯誤してパフォーマンスをつくっていく人。
佐久間くんはインプットもアウトプットもとても直感的。
曲を聴いて歌詞を読んで主観で世界を構築して、それに身を任せて体を動かすことを繰り返してパフォーマンスをつくっていく人。
やり方は正反対だけれど、自分を表現の道具にして、使えるものすべてを最大限活用してファンを喜ばせるパフォーマンスであるという点ではまったく同じ。
立地や予算に合わせて一番有効なアプローチを行い、最高の顧客満足度を叩き出すテーマパークのごとし。
どこまでもファンの利益を追求しており、そのためにどうすればいいかをわかってやっている、アイドルとして優秀すぎて怖いシンメ、それがあべさく。
2.ゆり組のパフォーマンス=美学追求型(専門料理店型)
ゆり組は同じダンススクールの出身なので、ダンスの根っこに通ずるものがあるのは当然なのだろう。
ただ、そういう型のようなものだけでなく、パフォーマンスをする目的が共通していると思う。
もちろんアイドルだから、「ファンを楽しませる」という目的はしっかり持っているけど、ゆり組の根底にあるのは、自己実現ではないだろうか。
「こういうのがかっこいい」というイメージが己の中にあって、それを実現するためにパフォーマンスをしている感じ。
あべさくはファンを喜ばせるためなら手段を選ばず、使えるものはなんでも使うけど、ゆり組は己の美学にのっとった手段でのみファンを喜ばせることを信条としていると思う。
かといって、頭が固いとか融通が利かないとかいうのとは違う。
己とは違う形の信念を持って実践している人のことは「自分にはできない」と激賞するし、良いと思えば新しいものもどんどん取り入れるし、良くないと思ったら続けてきたこともやめる。
理想とするイメージが確立していて、それに近づくためにやることとやらないことを取捨選択しているだけで、変化を厭わない。
ただただ己の美学に従って生きていて、それをパフォーマンスとして見せている。
たぶん、二人とも強いて意識しているわけではなくて、本能的に「俺らしい、俺がかっこいいと思う道」を進んでいるだけなのだと思う。
だから、どんな曲でどんな舞台でパフォーマンスしても一貫性があるし、「ああ、この人はこういうのがかっこいいと思っていて、それを私たちに見せてくれているんだな」とはっきりわかる。
ただ、その「かっこいいと思う理想形であり表現しようとしているイメージ」が、まぁ見事なまでに正反対。
こってりとあっさり、フルボディの赤ワインと麦焼酎、創作フレンチと老舗蕎麦屋くらいに正反対。
比喩でしか書き表せないのがもどかしいけれど、もうあれはダンスを見れば一目瞭然だろう。
理想とするイメージ・表現は正反対だけれど、己の美学を見せつけるパフォーマンスであるという点ではまったく同じ。
これと決めた道を究め、自分が納得のいく最高に美味しい一皿を提供する専門料理店のごとし。
どこまでも己が美学を追求し、それを実現するために生きている、人間としてぶれないシンメ、それがゆり組。
3.いわふかのパフォーマンス=愛情追求型(幼児型)
前述のあべさく・ゆり組のパフォーマンスには、はっきりした意志を感じるのだが、いわふかは意志よりも本能を強く感じる。
もちろん、プロ意識の高い人たちなので、「ファンを喜ばせたい」「楽曲のメッセージを伝えたい」「かっこいいところを見せたい」というような意志は持っているしそれもきちんと感じるのだけれど、根本的に本能で動いている感じがする。
あべさく・ゆり組は、己のやり方で観客を魅了して己の虜にしようという、いわば狩りのような意志を感じるのだが、いわふかはなんというか、観客はすでに手に入っていることを当然と捉えていて、そこに愛を振りまいているような。
“愛情追求型”としたのは、愛されたいと思ってパフォーマンスをしているという意味ではない。
愛されていることを当たり前に確信していて、向けられた愛情「大好き!!」に対して、「知ってる!俺も大好き!!」と返すことを目標にしているのがいわふかだと思うのだ。
いわふかは、とても本能的なところでアイドルをやっている。
そこがこの二人の共通点なのだけれど、ちょっとわかりにくいので、わけて語りたい。
まず岩本くん。
彼のパフォーマンスは自信に満ち溢れている。
そりゃああれだけダンスがうまければ自信もあるでしょと言えばそれまでだけれど、Snow Manの他のメンツだってダンスはうまいのに、岩本くんのようなドヤ感はない。
岩本くんのは、ただ単に己の仕事に自信がある自己肯定感ではなくて、「ねぇ見て!俺かっこいいでしょ?かわいいでしょ?褒めて褒めて!」という、5~6歳の子供のようなアピールだと思う。
比較するとわかりやすいので、あべさくを引き合いに出す。
あべさくの表情や動きなどのあれこれは、ここでこれをやったらファンが喜ぶとわかっていて狙ってやっている、あくまでファンサ(だから「あざとい」と言われる)。
それに対して岩本くんはファンサではなく、自分が「かっこいい!」「可愛い!」と言われたいからやっている、ただただ褒められたいだけの姫なのだ。
言い方は悪いが、あべさくが合コンにいる女子またはキャバ嬢(男子ウケを狙って相手を己の虜にし、己をちやほやしてくれる相手を喜ばせてお礼をしている)だとすれば、岩本くんは5~6歳の女児(己が可愛いこと・愛されていることを知っていて、それを言葉にして伝えてもらえたらそれで満足)という感じ。
この「褒めて褒めて!」というのは甘えにほかならないし、自分のことを好きだとわかっている相手にしかやらない。
岩本くんは、自分のことを愛しているファンに「俺のこと好きなんだよね、知ってるよ、俺も好きだよ、だからいっぱい褒めてね」と甘えているのだと思う。
相手に「かっこいい!かわいい!」と言わせることが、岩本くんの愛情表現なのだ。
※パフォーマンスの話から逸れてしまうが、岩本くんは今でこそグループ内でお父さんポジションとか言われているが、もともとは姫ポジションだった。
6人時代、最年少の阿部くんからは頼られ持ち上げられ、お兄ちゃん4人からはいじられ甘やかされ、それはもうすごいお姫様だった。パフォーマンス面ではエースなのに。
その片鱗は今でも見られて、検定試験の結果を「100点でした」と言ったり(「俺すごくない!?」とか「めっちゃがんばった!!」とか一切なく、それだけ言って褒め言葉待ち)、何かに失敗すると「あー悔しい!」とかではなく弁解したり(はいはいほんとはできるんだもんねひーちゃんは)、「ねえ!やだ!」とぷんぷんしたり(ガチ幼女)、お姫様扱いに慣れきっている感がすごい。
それに対して深澤くんはというと、もっと幼い感じがする。
2~3歳って感じ。
往来で2~3歳の子を見かけて、ああ可愛いなと思って手を振ってみたら、にこにこ手を振り返してくれた、という経験はないだろうか。
深澤くんのパフォーマンスは、ああいう感じ、もはや反射に近いと思う。
ウィンクなど特にわかりやすいと思うが、あれは「ここでウィンクしたらファンが喜ぶからやろう」とかそういうことではなく、「あ、見られてるな、ありがと」という反射だ。
彼にとっては、「誰かが自分を見ている」=「この人は自分のことが好き」ということが自然の摂理なのではないだろうか。
それは傲慢とかそういうことではなく、「あの人ぼくのこと見てるな、ぼくのこと好きなんだな、えへへありがとね」という、本当に単純で無邪気な心のありようなのだ。
そしてこれは、無邪気でありながらとてつもなく器が大きい。
己に向けられた好意に対して、「何かお返ししなきゃ!」でも「好きならちゃんと褒めて!」でもなく、「知ってるー、ありがとー、俺も好きー」と単純にストレートに返せるというのは、簡単そうに見えてなかなかできることではないと思う。
深澤くんの愛情表現は、サラっとしていてシンプルだけれどすごく懐が深い。
そう、いわふか二人に共通しているのは、この幼児のような純粋さ。
片や「俺ってかっこいいでしょ?可愛いでしょ?褒めて褒めて!」という甘え、片や「あ、見られてる、わーい、ありがと」という反射。
好意を向けられていると疑っていないこの純粋さと、それに対してサービスをしようとかではなく、やり方は違えど単純に自分も好きだと伝え返すことを目標としているのが、いわふかのパフォーマンスの真髄だと思う。
これは本人たちに聞いたら否定するだろう。
本人たちは完全に無意識にやっていることで、みんな自分のことが大好きだという確信は潜在的なものだから。
あべさくの利益追求は完全に、ゆり組の美学追求は八割がた、本人の意志によって行われているパフォーマンスで、長年やっていて無意識にできるようになってはいても、本質としては意識的なものだ。
しかしいわふかの愛情追求は、ほぼ完全に無意識下で行われていると思う。
相手に甘えるかただ受け入れるかというやり方は正反対だけれど、注がれている愛情を当たり前に確信して、俺も好きだよと返すパフォーマンスであるという点ではまったく同じ。
好意を向けられることになんの疑問も抱かず、なんの気負いもなく愛情を伝え返す、幼児のごとき本能でアイドルをやってるシンメ、それがいわふか。
と、勝手に思っています、私は。
私が知っているのはここ5~6年の彼らだけれど、きっと結成当時からそうだったんだろうし、3人が加入して9人になってもこの見事なシンメっぷりは変わっていないから、これからもずっとそうなんだろうなと思います。
ここまで書いたこと、思い込みのこじつけと言われればそれまでだし、否定はしません。
でも、彼らのパフォーマンスが、彼らの内面の表れであるのは確かなはず。
性格も信念も、生き方すら表れているんじゃないかと思う彼らのパフォーマンスが私は大好きだし、これからもずっと見ていたい。
もちろん、6人だけでなく、新たに加わった3人のことも。
オリジナルメンバー6人のことは最強シンメ×3だと思っているけれど、6人の中でのシンメ以外のコンビも、9人になってからバリエーションが広がったコンビも、それぞれにそれぞれの良さがあって素敵で大好きだし、何より9人が集まったパフォーマンスには無敵の力があると思います。
10年ずっと、Snow Manでいてくれてありがとう。
これからの10年もその先も、ずっとSnow Manでいてほしいです。