BGMから見るYohji Yamamoto × RAUL TGC SPECIAL STAGE (2022A/W)
ラウールくんとYohji Yamamotoの出会いに感謝して2ヶ月ちょっと。
こんなにすぐまたあの素晴らしい舞台芸術を見られるとは思わなかった。
前回の記事でも書いたけれど、ラウールくんはYohji Yamamotoのショーステージととても相性が良いと思う。
デザイナーでありながらミュージシャンでもある山本耀司氏がつくるステージは、BGMとモデルのパフォーマンスの掛け算によって、ファッションショーの枠におさまらない、良質な舞台芸術になる。
ラウールくんが最高に輝く場所だ。
優れた容姿、デザイナーの要求を正しく理解する賢さ、ウォーキングの技術といったものを持っているだけでなく、何よりも、彼がダンスを踊る人で、音楽を読解し、音楽にのって表現するということに長けているから。
先日のTGCのBGMは、山本耀司氏が1998年にリリースしたアルバム「地下生活」に収録されている「ガラスの時代」。
を!!今回のステージのためだけに歌詞を編集し、音源を再録したもの。
衣装も今回のためだけに作られたショーピース。
これは、もう、ラウールくん……ヨウジヤマモトの寵愛を受けていませんか?
……というのは思い込みの言い過ぎかもしれないけれど、ここまでしてもらえるというのはすごいことだし、特別なステージだったことは確かだと思う。
今回BGMとなった「ガラスの時代」の歌詞は以下の通り。
あっちを向けと言えばあっちを向くんだね
こっちを向けと言えば素直に向くんだね
逆らう手間が面倒なんだね
怖いくらい冷たいんだね
人に言われて仕事を変えたり
仕事に合わせて自分を変えたり
絶望の時代だから絶望するんだね
ガラスの時代の入れものなんだね
宅配にメールすれば暮らしまで届くもんな
携帯の中にいる彼氏は優しいのかい
降りてこい、降りてこいよ
足で地面を歩く暮らしに
けっこうきついけど体張って
命かけて暮らす人生は
それでもなかなか
それでもなかなか
色っぽいぜ
ラウールくんの表現力は凄まじいものだったけれど、やり方としてはとてもストレートだと感じた。
背中に書かれた「ガラスの時代の入れものなんだ」という言葉通り、彼はガラスの時代=絶望の時代の化身で、その身の内は絶望で満ち満ちている。
なので前半の足取りはゆっくり重く、歩を進めるたびに地面が絶望で黒く染まるし、会場を眺める表情も冷え切っている。
それが「降りてこい、降りてこいよ」で一変する。
この呼びかけによって空気が変わり、風が吹いたのを感じて表情が動き、自分の足元が絶望に黒く染まっているのに気づいて逃れようと足を浮かせ、もがき苦しんで“ガラスの時代の入れもの”を内側から壊して抜け出る。
「足で地面を~」以降は、解放され、凄絶な笑みを浮かべ自由に踊る。
そして決められたランウェイから客席に降り、前半とはまるで違う自然でラフな足取りで、吹っ切れたような表情で歩き去る。
BGMとパフォーマンスが完全に合致し、一本のストーリーが完成している。
こうして書くのは簡単だけれど、実際にやろうと思ってできるものでは決してない。
ああして表現できてしまう山本耀司氏とラウールくんは天才(で片付けていいとは思わないけれど他に言い様がないのでやっぱり天才)だ。
さらに言うなら、もしかするとラウールくんという実存在と、それに熱狂する観客も演出に入っていたのでは、と思う。
ラウールくんはアイドルだ。
「宅配にメールすれば届く暮らし」「携帯の中にいる彼氏」と並ぶ、「ガラスの時代」の象徴、まさに偶像。
そんな自分にペンライトやうちわといったグロテスクなアイテムを振る人間たちを眺めて絶望する前半。
偶像を壊して踊ったにも関わらず、それに気付かずに熱狂する観客と、そんな観客を一顧だにせず歩き去る後半。
観客の行動まですべてが演出で、何もかもひっくるめてヨウジヤマモトの「降りてこい、降りてこいよ」というメッセージのように思える。
考えすぎだろうか。
でも過去のTGCのラウールくんのステージを見れば観客の行動は予測できただろうし、やはりそこまで想定しての演出であったように思えてならない。
(一応言っておくと、今回のこれはシュールな演出として素晴らしい完成度になっているからよかったけれど、本来はあのようなパフォーマンスに対してペンライトを振ったり、うちわを出したりというのはやめたほうがいいと思う。
確かに過去のTGCにSnow Man全員で出演したステージではうちわもペンライトも違和感はなかったし、そもそもペンライトはTGC側が配っているし、うちわだって禁止されているわけではない。
もし今回のラウールくんのステージが、ノリノリの音楽に合わせてモデルウォークをするものだったなら、ペンラを振りまくりうちわで主張するのが間違いだとは思わない。
同じTGCでも、2021S/S(ヴァサイェガくんと一緒だったやつ)などはそういうノリでよかっただろう(実際には無観客だったが)。
だがしかし、今回、2022A/Wのあのスペシャルステージ、あの舞台芸術の最中にうちわやペンライトを振るというのは、凄まじい違和感がある。
たとえば賑やかな飲食店であっても、突然店内が暗くなってバースデーサプライズが始まった場合、それまでどんなに盛り上がって会話をしていても、ルールとして定められていなくても、店内の客は一瞬で対応して会話を中断するはずだ。
それと同じで、まぁ要するに、空気を読みましょうという話。
……あれ?でも「空気を読め」というのは、「ガラスの時代を打ち破れ、降りてこい」というヨウジヤマモトのメッセージに反する……?
みんなやりたいようにやればいいの……?
いやでもそもそも、アイドルというその名の通り偶像に熱狂してうちわやペンラを振る、という行為自体に対して「降りてこい」と言っているのでは……?
ダメだわかんなくなってきた。)
いくら考えたところで、天才の真意は凡人たる私ごときにはわからないけれど、この二人の天才の出会いと、それによる新たな芸術の誕生には、ひたすら感動と感謝を抱いている。
あんなステージを作り出せることがわかったからには、これっきりで終わるなんてことはないだろう。
きっとこれから先、Yohji Yamamoto×RAULのステージを何回も見ることができるだろう。
そして私はそのたびに感動するし、感謝するだろう。
本当に、素晴らしい芸術作品です。ありがとうございます。
というわけで、その感動と感謝の衝動のままにヨウジヤマモトの服を一着でも買いたい!!とウェブショップを覗き、結局は断念しました。
でも諦めたくないので、足で地面を歩く暮らしに日々勤しみ、あれを買って着られるような揺るぎない自分自身と財布を手に入れるべく邁進しようと思います。