五臓六腑を燃やして

とあるSnow Man深澤辰哉担の個人的思考の記録

わかるけどわかりたくない話

※注意※              

今回、「歌割りの多寡」「売り出し順」などのワードが出てきます。それにまつわる個人的な苦悩・葛藤と、それとどう折り合いをつけてファンをやっているかという話なので、ネガティブなことを目に入れたくないという方は読まないでください。

また、販売戦略や歌割りの理由などは、あくまでも私個人の推察で、確かなものでも正しいものでもありません。あくまでも個人的思考の記録としてお読みください。)

 

 

 

 

前回のあらすじ:

Snow Manが6人から9人になった時、最初は6人が否定されたような気がして受け入れられなかったものの、5ヶ月くらいかかって「新メンバー3人はオリジナルメンバー6人にとって必要な人たちであり、9人はもう間違いなく仲間なんだ」と理解できて受け入れられた。

全文はこちら⇒増員時のこと - 五臓六腑を燃やして

 

 

 

 

私が9人のSnow Manを心から応援できるようになって2ヶ月後、デビューが発表された。

うれしかった。

おめでとう、よかったね、がんばったね、ありがとう、がんばってね……そんな言葉しか浮かばなかった。

うれしいとか楽しいとか好きとか、そういう感情は本当に単純だ。

思い返してもこれしか書くことがない。

 

が、ひとしきり喜んだ後、不安が頭をもたげた。

なにせレーベルがavexである。

EDM大得意、販売物は特典もりもり、供給は求めるものではなく溺れるもの、一部キスマイ担に「エイベ様」と呼ばれるavexである。

ダンスが売りで、踊れる曲を多めに持ってほしい、マルチアングルを標準装備してほしい、そんなSnow Manにはぴったりのレーベルだ。

それはいい。

しかしavexである。

V6とKis-My-Ft2avexである。

カミセン・トニセン、前3人と後4人、つまりは格差売りのavexである。

V6はファンとはいかないまでもデビューから3枚目のフルアルバムまでリアルタイムで買っていて坂本くんが好きだった私、キスマイは現役バリバリのファンで横尾担の私が、不安にならないわけがなかった。

そもそも増員に反発した一因が、「6人に足りない要素を担う人材として3人が入ったなら、デビュー後はこの3人が特に売り出されるのでは?」という不安だったので、それが的中するのではと怖くなってきた。

Jr.時代の終わりとデビューを告げる曲である『終わらないMemories』の歌割りが、1番が渡辺・岩本・向井・目黒・ラウール、2番が宮舘・深澤・阿部・佐久間だったことも不安を煽った。

これは、デビュー後もこういう歌割りでいくのではないか、2番の4人が脚光を浴びるまでには数年かかるのではないか、と。

 

不安を抱えた状態で、11月末、D.D.が初披露された。

かっこいい!!すごい!!最高のデビュー曲!!と思ったし、ダンスにもアクロバットにも魅了された。

それは本心だったし、やっぱりSnow Man大好きだと思った。

でも。

その一方で、不安が的中してしまったと思った。

すごくショックだった。

深澤くんと阿部くんだけ、完全なソロパートがなかった。

向こう数年、この二人の歌割りは増えないかもしれないと思った。

 

(大袈裟だと思う人は以下の動画を見てほしい。デビュー曲であれれ?となって2ndから凄まじいことになる。歌割りカメラ割り立ち位置そして衣装にまであからさまな格差があるキスマイ、控えめに言って戦慄する。この格差は、デビューから4年くらい経ってやっとなくなる兆しが見える。同じことがSnow Manにも、と思ったら絶望した。)

 

youtu.b

 

Snow Manが“アイドル”ではなくて“音楽アーティスト”だったら、話は別だ。

これだけ声質も歌い方も違って音痴じゃないのが9人揃ってるんだから、曲ごとに特性を生かした歌割りにしたほうが音楽的には確実におもしろいし、そうしないほうが不自然だ。

だからD.D.の歌割りが少なくても、「深澤くんは声が甘いからバラードとかで前に出るのかな~、楽しみ~♪」思えただろう。

でも彼らは“アイドル”だから、“音楽的なおもしろさ”なんていうのは二の次で、“音楽”ではなく“人間”をどうやって売っていくかという長期的な戦略が優先される。

CDが売れればいいってものじゃない。

彼らのファンでもなんでもない人に好感を抱いてもらって、個人の顔と名前を覚えてもらわなきゃいけない。

そのためには9人いっぺんにプッシュするなんていうのは下策でしかなく、3人ずつとか、がんばっても5・4くらいで分けて順番にプッシュしなきゃ個人まで認識して覚えてもらえない。

これはグループ自体を、いずれはメンバー全員を世に知らしめるための販売戦略だ。

順番が後回しになったメンバーが蔑ろにされているわけではない。

デビューから数年間あからさまだったキスマイの格差だって、一般認知度が上がるにつれて解消された。

今のキスマイは一人一人の声質、歌い方、歌唱力、得手不得手向き不向きに合わせた歌割りがされていて、マイクを持つ人間が7人いる利点が最大限生かされている。

Snow Manだって数年すればそうなるのだから、信じて待っていればいい。

 

それはわかる。めちゃくちゃわかる。

だが、理屈でわかるのと心で納得するのは別なのだ。

予想していたことにも関わらず、私はものすごくショックを受けた。

そして、怖気づいた。

 

Snow Manがキスマイと同様の商法でいくと仮定して。

デビュー曲でこれなら、今後さらに歌割りは偏るだろう。

私がキスマイのファンになったのはちょうど格差がなくなってきた頃で、格差があったことを知ってはいてもリアルタイムで体感してはいなかったので、いざ自分が当事者になった時、ああこんなにきついんだと愕然とした(キスマイをデビュー前から応援しているファンの方のことは心底尊敬している)。

私は、うすうす予想していてさえこれだけショックを受けている私は、今後数年、これに耐えられるのか?

リリースのたびにこのレベルのショックを受けていたら心が折れる

慣れるなり流すなりして、歌割りに関係なく深澤くんを、Snow Manを応援し続けることができるのか?

正直、自信がなかった。

こんなに心が抉られるのなら、もう離れたしまったほうがいいのではないかと思った。

 

しかし、さすがにデビューと同時に離れるというのは躊躇われたし、やっぱり大好きだからファンでいたかった。

デビューそのものも、それに伴って増えた露出も、彼らの今までが報われたということも、すべてが本当にうれしくて、追うのが楽しかったのもある。

不安は大きいけど、とにかく楽しんで応援できるうちはそうしようと思った。

 

また、自分なりに理屈をこねておけばショックが和らぐかもしれないと思って(実際、歌割りが偏るだろうという予想をせずにD.D.を聞いていたらもっとショックだったと思う)、販売戦略を勝手に推測してみたりした。

 

9人それぞれ特性があるけど、早めに売りたいのは誰だろう。

やっぱり“若さ”は強力な武器だから、使えるうちに使わないと損だよな。そうすると年下3人が優先だな。

あと岩本くんも、SASUKEの成功率は若いうちのほうが高いから早めに売りたいよね。リーダー・エースって看板も背負ってるし。

渡辺くんもメインボーカルだからあんまり後回しにはしたくないけど、美容男子っていうのは30代になってからのほうが売りやすいよな、「その見た目で30代なの!?」っていうのが欲しいし。微妙なラインだな。

急ぐ理由があるのはこの5人だよね。だからやっぱり終わメモの歌割りなんだよな。

佐久間くんはアニメだから、いつになるかわかんないけど、アニメのタイアップついたらとかかな。

宮舘くんは時代劇希望だけど、今民放で時代劇ないから、NHKだよね。狭き門だなぁ。それに宮舘くんのキャラ的に、足軽とか若侍っていうよりはもうちょい上の貫禄ある役がいいよね。そうするとせめて30代になってからかな。

阿部くんはもちろんクイズだけど、すでに自力で地位を築いてるから、もうプッシュする必要がないよな。今までどおり自力でがんばってもらって、グループが軌道に乗ったら歌割りを増やす感じかな。

深澤くんも絶対後回しだよね。そりゃそうだよね。すでにMCっていう地位があるもの。安泰だもの。急いでプッシュする理由が欠片もない。しばらくほっといても大丈夫だから後回し。うん、信頼の証。

 

そうやって予防線を張って次のショックに備えながら目の前の供給を追っているうちに時は過ぎ、2020年3月。

KISSIN’ MY LIPSで、私はものすごいショックを受けた。

歌割りそれ自体に、ではなかった。

歌割りの少なさは、予防線のおかげで、「あー、やっぱりな」と思っただけで済んだ。

「やっぱりなー、あべふかはしばらくソロパート期待できないよなー、知ってた、うん。数年我慢だな」と思って、それから。

 

「6人でデビューしていたらこんな気持ちにならなくて済んだんじゃないか」と思ってしまった。

 

そう考えてしまう自分がいることが、めちゃくちゃショックだった。

増員を受け入れられたと思っていたのに、今さらこんなことを考えるなんてと、自分に失望した。

深澤くんは素晴らしい人なのに、Snow Manは素晴らしいグループなのに、甚だしく見当違いで醜悪な「たられば」が自分の中に存在することが怖くてたまらなくて、申し訳なさと自己嫌悪でいっぱいになった。

 

「好きな人の歌割りが少なくて悲しい」「もっとソロで歌うパートを聞きたい」という気持ちになるのはいい。

そう思ったり言ったりすることは別におかしいことでも悪いことでもないはずだ。

でもそこに、現実をねじ曲げる呪いのような思考が入ってはならない。

自分の気に入る形にならなかったからってそれはない。

 

べこべこに凹んで、今度こそ離れたほうがいいんじゃないかと思った。

 

歌割りが少ないことはわかる。わかりたくないけど。「やっぱりね」で済んだ。

そこで終わっとかなきゃいけないのに、余計なことを考えたのはなんでだ?

Snow Manが大好きなことは間違いないし、ずっと追いかけていきたいけど、またこんなことを考えてしまうのは嫌だ。

9人に失礼だし、自分で自分が嫌だ。

でも次回以降も絶対に考えないという自信がない。

 

そうやって1ヶ月近く、半ば途方に暮れた状態でうじうじぐずぐず悩み続けた。

それを終わらせてくれたのは、深澤くんの1万字インタビューだった。

 

増員時のこと、メンバーへの思い、ファンへのメッセージ。

読んでわかった、というか、再確認したのは、「この人ほんとにグループのこと愛してるよね」ってことだった。

いやもう今さらもいいところな話だったんだけど。

深澤くんはそれまでにも何度も、「俺にとってこのグループとメンバーは本当に大事で守りたいものです。愛してます。だからみなさんも愛してください」という旨のことを言っていたし、1万字インタビューでもブレずに同様のことを言っていた。

だから本当に“再確認”って感じだったんだけど、あのタイミングでというのが私には大きかった。

あれを読んで、私の方針が定まった。

 

もっと加入組3人のことを知ろう。そして愛そう。私に足りないのは愛と覚悟だ。

 

単純な話だ。

9人全員への愛が足りないから、愛し続けようって言う覚悟が足りないから、見当違いのたらればなんか考えるんだ。

「6人にとって必要な人たちだから受け入れる」とかじゃなくて、3人のことをちゃんと個人として好きになって、9人のSnow Manじゃなきゃ嫌だ!って言えるくらい大好きになろう。

なろうと思って好きになれるものじゃない?

何を言う。

大好きな人が大好きな人たちなんだから、ちゃんと知れば好きになるに決まっている。

私はそういうところ単純だ。

車なんか一切興味なかったくせにF1好きの彼氏ができたらあっという間に詳しくなる程度には単純な女だ。

 

というわけで、そこからサルベージが始まった。

3人のSnow Man加入前のことを調べてみたり、録画や動画や円盤を(深澤くんばっかり見ないでひとりひとりにちゃんと注目して)見返してみたり、ブログを遡ってみたり。

一方で新たに出てくるものも追って、ひとりひとりをじっくり見つめて、3人がどういう人なのかしっかり掴もう、6人のことも改めて知ろうという姿勢でいるように努めた。

その頃ちょうど自粛期間中で、8分割されたリモート動画が出たり、深澤くんの誕生日動画で一人ずつしっかりコメントしたりしていたので、そこでも個人個人を見つめやすかった気がする。

(ちなみに、このサルベージ作業の真っ最中に出たananで、Snow Manの連載のトリ・深澤辰哉のタイトルが『覚悟の在処』だった。わかってるよあなたの覚悟は!私の覚悟は今決めようとしてるとこだから待ってろよちきしょー!好きだ!!ってなった。)

 

やってみれば本当に単純なことで、ひととおりサルベージが済んだころには、9人全員マジでちゃんと好きになっていて、どこが好きかを全員についても一人一人についても語れるくらいには立派な箱推しになっていた。

あと深澤くんのことをさらにさらに大好きになっていた。

 

そしてそれからは、あの呪いのような思考に襲われることはなくなった。

Snow Manは9人でなきゃダメだし、9人でいるSnow Manが好きだし、その中で深澤くんに笑っていてほしいと心から思う。

 

今でも新曲発表のたびに、深澤くんまた歌割り少ないなぁ、悲しいなぁ、いつかは順番来るんだし待つけどやっぱり悲しいなぁ、という気持ちにはなる。

でもそれは無理に押し殺す必要はないし、持ったままでいいやと思っている。

悲しくなったらちょっと休めばいいし、休んでる間も供給は止まらないから、すぐに別の喜びや楽しさをもらえる。

そうやってどんどん楽しいことうれしいことに飛びついて騒いで、Snow Manは最高だ大好きだと9人を応援すればするだけ、悲しいなと思わなくて済む日は早く来る。

でもその日が来た時に、あんなに苦しんだ自分のことを自分で忘れていたらそれはそれでどうなんだろうと思ったので、できるだけ包み隠さずに記した。

 

繰り返すが、これは私の場合であって、正解ではない。

ファンたるもの箱推しであるべきだとかも思っていない。

ただ、誰かを憎らしく恨めしく思うことは、単純に悲しむことよりもよほどしんどいから、私は私のメンタルを守るために愛そうと決めただけだ。

 

ここに書いたことを、未来の私が汚点ととるか、意味のあるものととるかはわからない。

ただ、彼らのことを大好きなままでいることは信じている。